最近のDX化の急激な進展や、従来の産業構造やビジネスモデルの急速な変化により、会社・社員のパフォーマンス最大化のためにHRの果たすべき役割が、「制度やプロセスの構築」から「エンプロイー・エクスペリエンス(従業員の経験価値:EX)の設計」へとシフトしつつあります。
今回は、グローバルでのHRの潮流である「エンプロイー・エクスペリエンス」について、米国の事例を交えながら解説します。
エンプロイー・エクスペリエンス(EX)とは?|従業員の経験価値
エンプロイー・エクスペリエンス(Employee Experience)は、従業員の経験価値と訳されています。
エンプロイー・エクスペリエンスには、下記のようなことが含まれます。
ワークライフバランス、仕事の意義、マネジメント、社員の一体感、経営への信頼、快適な職場環境、報酬、職務適正や職務デザインなどです。
そして、それらをトータルで考え従業員の体験をデザインすることを意味します。
エンプロイー・エクスペリエンスという言葉は、顧客の体験価値の向上を示す言葉として従来から使われているカスタマー・エクスペリエンス(Customer Experience:CX)の対比で生まれました。
はじまりは米国です。先日NASDAQに上場した民宿などの宿泊予約サイトを展開するスタートアップAirbnbのHRリーダーが、自社の顧客であるゲストやホストのエクスペリエンスを向上させるための検討手法(デザイン・シンキング)が、そのまま社内のあらゆる活動にも適用できることに気づき、エンプロイー・エクスペリエンスをデザインすることに取り組んだのがはじまりです。それまでは、自社の社員のエクスペリエンスをデザインするという発想はありませんでした。
結果的に、Airbnbは、米の会社レビューサイトGlassdoorの「社員が選ぶ企業ランキング」で2015年にGoogleを抜き世界で1位になりました。
その実現方法としてエンプロイー・エクスペリエンスへの取り組みが注目を集め、エンプロイー・エクスペリエンスに取り組む企業が急速に広がりました。
欧米でエンプロイー・エクスペリエンスに注目が集まる背景
2019年のDeloitte(米コンサルティングファーム)の米国での調査によると、エンプロイー・エクスペリエンスの改善が重要なテーマであると答えた企業が84%にのぼり、そのうち28%が最も緊急性の高い上位3つの人事テーマのうちの1つと回答しています。
また、MIT(マサチューセッツ工科大学)の調査によれば、優れたエンプロイー・エクスペリエンスを提供している上位25%の企業は、下位25%の企業と比べて、2倍のイノベーション、2倍の顧客満足度、25%の高い利益率を達成しています。
エンプロイー・エクスペリエンスが重視される背景には、以下のようなことがあります。
① 優秀な人材の確保のため
エンプロイー・エクスペリエンス(従業員への経験価値)を意識して、従業員起点での体験をデザインし、その価値を向上させることが、人材市場での競争力に欠かせなくなっています。昨今は優秀な人材ほどエンプロイー・エクスペリエンスを重視する傾向があり、エンプロイー・エクスペリエンスをないがしろにすると、優秀な人材の獲得競争で勝てません。また、転職者は企業からの発信だけでなく、SNSや口コミサイトで現役社員や元社員の情報を収集しています。エンプロイー・エクスペリエンスを重視する姿勢自体が個人から評価されるとともに、企業発信以外の社員ベースの発信を好意的にすることに繋がり、採用競争力の強化に繋がります。
② 企業が「個人に選ばれる」時代への対応
個人が自律的にキャリアを考え、より良い環境を求め、以前より短いサイクルで働く場所を変えること(転職)が当たり前になり、企業の立場は「個人を選ぶ」から「個人に選ばれる」に変化しています。エンプロイー・エクスペリエンスを意識して、従業員起点でマネジメントを考えなければ、他の会社に社員は簡単に移っていってしまうため、持続的な会社の成長にとって欠かせない要素となっています。雇用が流動化すればするほど、会社は社員に選ばれ続ける努力をしなければならず、そのような背景からエンプロイー・エクスペリエンスは非常に重要な意味を持つようになりました。
③ 多様化する従業員を連携させることに注力する必要性
人材の流動性が高まることで、以前より従業員の同質化が難しくなっています。欧米には劣りますが、日本でも雇用の流動化は着実に進んでおり、新卒入社のプロパー社員だらけの状況は過去のものとなりました。
そのため、多様なバックグラウンドを持つ従業員が、お互いの強みを活かし、効果的に連携できるようにする役割が企業に期待されており、そうした連携を意図的につくるために、エンプロイー・エクスペリエンス(従業員の体験を)をデザインする意識が高まっています。
エンプロイー・エクスペリエンス向上のために考えるべき観点
では、どういった観点に注目し、エンプロイー・エクスペリエンスをデザインしていけばよいのでしょうか?
エンプロイー・エクスペリエンスは、ワークライフバランス、仕事の意義、マネジメント、社員の一体感、経営への信頼、快適な職場環境、報酬、職務適正や職務デザインなど、さまざまな要素をトータルで考えデザインしていく必要があるため、考えなければならない領域は多岐に渡ります。
- 会社としての存在意義・価値観の再認識
- 存在意義・価値観との一貫性がある従業員体験の提供
- マネジメントの変革(対話型の組織風土の醸成)
- 職場におけるコミュニケーションデザイン
- 事務作業などの効率化、自動化
- モバイル対応やクラウド化によるペーパーレス化、ロボティクスを活用した自動化など
- 健康的な労働環境の整備
- 評価制度の再設計、パフォーマンスマネジメント
- 人材育成制度の再設計
エンプロイー・エクスペリエンスへの取り組みの具体例
エンプロイー・エクスペリエンスの向上に取り組んでいる企業の、先進的な取り組みについてご紹介します。
Airbnb
Airbnbは、2008年8月に設立され、カリフォルニア州サンフランシスコを拠点とするスタートアップで、1泊のアパート、1週間の城、1か月の別荘など、34,000を超える都市と191か国で展開する宿泊施設のプラットフォーマーです。2020年にNASDAQ上場を果たしました。同社は、米の企業口コミサイトであるGlassdoorの選ぶ「Best place to Work」にも選ばれています。
エンプロイー・エクスペリエンスを生み出し、はじめて実行した同社は、人事をエンプロイーエクスペリエンスと呼んでおり、従業員のライフサイクル全体にわたるエンプロイー・エクスペリエンスの向上に取り組んでいます。
<エンプロイー・エクスペリエンスチームの取り組み例>
- 働きやすいワークスペースの設計
- コアバリューの具現化、組織文化の醸成、ダイバーシティ&インクルージョンの実現
- 有給のボランティア時間
- 包括的な健康保険
- システムやツールを活用したビジネスプロセスの設計
- 社員と家族のための休暇制度
- 年間旅行と体験クレジット
- 報酬や昇給周りの制度づくり
- 従業員のキャリア開発や学習の支援
- 健康的な食事の提供
- 退社する従業員との出口面談
Adobe
PhotoshopやIllustratorといったデザインツールの提供で知られる米Adobe。同社は元々はソフトウェアの売り切り型のビジネスモデルでしたが、クラウド化、サブスクリプション型に転換することで大幅な売上げアップを実現し、2015年度に47億9600万ドルだった売上は、2020年には128億6800万ドルまでに成長しています。コロナ下でも売上高が前年比15%増と堅調な業績推移を見せています。
こうしたビジネスモデルの大転換をやり遂げたAdobeは、エンプロイー・エクスペリエンスに力を注いでおり、Airbnb同様、人事をエンプロイーエクスペリエンスチームと呼んでおり、社員全員が能力を最大限に発揮して働けるようにすることで、Adobeの成功を促進することを目指しています。
<エンプロイー・エクスペリエンスチームの取り組み例>
- アドビの価値と文化を社員に伝えていく
- 社員とその家族にとって重要な出来事がある場合は休めるよう休暇制度を改善
- 社員のキャリアアップを支援する社員Check-in制度
- 職場をよりインクルーシブなものにする社員ネットワーク構築
- 社員が大切にしているものへの投資
- 社員をやる気にさせる作業空間
- 社員の意欲を高める制度や環境整備
- キャリアと能力の開発の支援
いかがでしたでしょうか?
日本においても、人材の流動化は進んでおり、個人が1社で勤め上げることを考えなくなってきています。また、テクノロジーやビジネス環境の変化の速さから、企業としても中途採用で自社にないスキルを持った即戦力を採用したいニーズも増えています。
優秀人材の確保、従業員や個人から選ばれるため、多様化する従業員の連携を高めるためには、エンプロイー・エクスペリエンスの観点でのHRの役割はますます重要になります。
また、それらを実行する現場マネジメントの役割もより一層重要になり、そうしたマネジメントの変革のための人材育成の投資も必要になるでしょう。
ぜひ、エンプロイー・エクスペリエンスを意識した人事チームの役割やタスクを考えてみてください。
参考:
https://careers.airbnb.com/?department=employee-experience#jobs
https://www.adobe.com/jp/careers/experience.html
『グローバル・ヒューマン・キャピタル・トレンド 2019 』Deloitte